ふとした瞬間に思い出す。
2000年10月20日小学校1年生。
学校に入ったばっかりのころのこと。
当時、親の英才教育のために、すでに
2年生までの漢字は書けるようになっていた私は
国語の書き取りの時間に
「ひらがな」しか書かせてもらえないのが
もどかしくて
漢字に書ける言葉が出てきたら
ひらがなよりも漢字を書いていた。
そして、そのころにしてはむずかしめの漢字ができたとき。
先生にもほめてもらいたいという純粋な気持ちで、かけた漢字を見せに行ったのを覚えてる。
しかし、見せにいった先生から返ってきた言葉というものは。
「漢字を書くよりも、ひらがなで書きましょうね。」
の一言だった。
その言葉を聞いて初めて
学校というのはどういうことをするところなのかを
理解した。
たとえ自分がいくらできても
周りの条件に合わせないといけないんだ、と。
同時に、非常に悔しいような、自分のすべてを否定されたような
すねた気持ちになったのをはっきり覚えている。
悪いことをしたわけでもないのに
先生に注意されたような、嫌な気分だった。
何も考えなかった私は
単に、覚えたての知識を使いたくて仕方なくて
高慢になってただけだったのかもしれない。
先生の反応というのは今思えば当たり前のこと
だったのだろうとは思う。
ふとした瞬間、未だにこのころのことを思い出すとは
相当、心に強く残っていた感情なのだろう。
今更どうすることもできないけれど。
でも、こういう他の人から見たらつまらない体験からのが
学ぶことは多いのかもしれない。
学校に入ったばっかりのころのこと。
当時、親の英才教育のために、すでに
2年生までの漢字は書けるようになっていた私は
国語の書き取りの時間に
「ひらがな」しか書かせてもらえないのが
もどかしくて
漢字に書ける言葉が出てきたら
ひらがなよりも漢字を書いていた。
そして、そのころにしてはむずかしめの漢字ができたとき。
先生にもほめてもらいたいという純粋な気持ちで、かけた漢字を見せに行ったのを覚えてる。
しかし、見せにいった先生から返ってきた言葉というものは。
「漢字を書くよりも、ひらがなで書きましょうね。」
の一言だった。
その言葉を聞いて初めて
学校というのはどういうことをするところなのかを
理解した。
たとえ自分がいくらできても
周りの条件に合わせないといけないんだ、と。
同時に、非常に悔しいような、自分のすべてを否定されたような
すねた気持ちになったのをはっきり覚えている。
悪いことをしたわけでもないのに
先生に注意されたような、嫌な気分だった。
何も考えなかった私は
単に、覚えたての知識を使いたくて仕方なくて
高慢になってただけだったのかもしれない。
先生の反応というのは今思えば当たり前のこと
だったのだろうとは思う。
ふとした瞬間、未だにこのころのことを思い出すとは
相当、心に強く残っていた感情なのだろう。
今更どうすることもできないけれど。
でも、こういう他の人から見たらつまらない体験からのが
学ぶことは多いのかもしれない。
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