その両手は、何のためにある?
2001年5月4日昔…私が生まれる前、
父、母が幼かった時代の話や
祖父、祖母が若かったころの時代の話を聞くと
今の時代は、それから数十年しかたってないのに
随分モノで溢れるようになった時代だと思う。
そして今の時代は、先代が夢を見てきた時代でも
あるのかもしれない。
自分で望んだものが、その通りに手に入る今。
モノで溢れすぎていて、一つのものの価値が
そのモノ以下になってしまっているようにも
感じてしまう。
そしてまた、モノがありすぎて
自分からは何も望まなくなってしまったようにも思う。
満たされてるから、飽きがないのだ。
飽き、そして自ら求めることを忘れてるのかもしれない。
そもそも人は何もなければ自分で道具を創り
それを使うことで、今日まで生き続けてきたはずである。
しかし、今の時代は、1人1人が必ずしも
生きるためのモノを作ってるとは限らない。
果たしてそれでいいのだろうか?
「人」という生き物としていいのだろうか?
…なんてただ、頭に浮かんだことを
つらつら書いただけだからひでぇ文章だ。。。
ぼーっとしながら考えることは
所詮この程度のことだよな……ふっ(泣
父、母が幼かった時代の話や
祖父、祖母が若かったころの時代の話を聞くと
今の時代は、それから数十年しかたってないのに
随分モノで溢れるようになった時代だと思う。
そして今の時代は、先代が夢を見てきた時代でも
あるのかもしれない。
自分で望んだものが、その通りに手に入る今。
モノで溢れすぎていて、一つのものの価値が
そのモノ以下になってしまっているようにも
感じてしまう。
そしてまた、モノがありすぎて
自分からは何も望まなくなってしまったようにも思う。
満たされてるから、飽きがないのだ。
飽き、そして自ら求めることを忘れてるのかもしれない。
そもそも人は何もなければ自分で道具を創り
それを使うことで、今日まで生き続けてきたはずである。
しかし、今の時代は、1人1人が必ずしも
生きるためのモノを作ってるとは限らない。
果たしてそれでいいのだろうか?
「人」という生き物としていいのだろうか?
…なんてただ、頭に浮かんだことを
つらつら書いただけだからひでぇ文章だ。。。
ぼーっとしながら考えることは
所詮この程度のことだよな……ふっ(泣
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